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「なでこSMILE」のアニメ感想BLOG

アニメや漫画などについての、自分の思いを記録するブログ

おばけの街

初稿<2009/04/19>
第三稿<2009/11/29>


神戸の友人たちへ



 <プロローグ>


 車で走っていた。

 少年は後部座席に座っていた。
 窓の外の景色を見ていた。
 急に窓の外が赤くなった。
 夕立が降り始めたのだ。
 外を歩く人たちは、小走りでかけていった。
「あ」
「どうしたの」
「今お化けがいた」
「どこ」
「さっきの自転車に乗った女の人」
「ただの女の人じゃない?」
「いいや、あれはおばけだったよ」
「どうしてそう思うの」
「わからない。でもあれはお化けだった。
すれ違う瞬間、一瞬顔が見えたんだ。
目と口がすごく大きくて笑ったような泣いたような顔だった」
「見間違いじゃないの?」
「わからない。そうかもしれない。
でも、あれは人間じゃなかったよ」

 はたから見れば、どう見ても人間だが、
 あれは人間ではなかった。
 そういうものだった。
 それを見た。
 あれから十年もたって。
 地下のセンター街で。
 シャッターが閉まった店がいくつも並ぶ薄暗い空間の中で、それは立っていた。
 
 このセンター街はあの震災以降活気がなくなった。
 地上では再開発が進み、復興のシンボルマークであった震災記念館も今は取り壊され、商業施設となった。
 街にはもう震災を思い出させるものはなかった。
 このセンター街は地上の開発からは取り残され、元々はすべて埋まっていた店も今では二、三店舗しかない。
 ここに復興はなかった。

 そしてそれはそこにいた。



 <第一章>
   

 鳥が飛んでいた。
 私は季節外れの海岸を歩いていた。
 あいにく空は曇っていた。
 白い鳥だった。
 灰色だった。
 私は空を見ていた。
 すべてが白くなって消えていった。
 フラッシュをたいたような。
 空。
 図書館のベンチに座り、
 空を見ていた。
 晴天だった。
 まっすぐ上を見上げ、
 私は宇宙を見ていた。
 意識は上へ上へと昇り、
 そして落ちていった。
 私は宇宙を見た。

          ※

 夜だった。
 一駅の距離を手前で降りて、
 海外沿いを友人と歩くことにした。
 『あのころはなにもなかった・・・』
 僕はタバコを一本取り出して、
 火をつけ歩きだした。
 波の音が聞こえていた。
 夜景に照らされ、光るのは波だった。
 僕たちは図書館の裏側まできて、腰を下ろした。
 風が冷たかった。
 海沿いにあるその図書館は、みんな帰ってひっそりと静まり返り、非常灯だけが緑に光っていた。
 僕は友人に話を始めた。
「おばけを見たよ」
「おばけ?」
 友人はタバコに火をつけた。
「おばけ。センター街の地下で」
「へえ。おそわれた?」
「いや。なんか口を開けてじーっと立ってた」
「なにそれ。頭おかしい人じゃなくて?」
「違うよ。あれは人間とは別のものなんだ」
 僕は昔、車で見たお化けの話をした。
 なるほどね、そういって彼はタバコを地面へ押し付けた。
「おー、流れ星だ。」
 友人は空を見ていた。
 冬だった。
 空の星は澄んで、ささやかな光を放っていた。
「お前が見たおばけはさ、」
 うん、
「おばけじゃないんだな」
 そうだな。
 あれは、人や獣が化けたというものでもないようだった。
 街の喧騒、溢れかえる人々の感情、
 ぶつかっては、砕け、消えていく、そんなものの破片がより集まって、人の形になってなにかを発している。
 僕はそういう風に考えていた。
 僕は友人にそのことを伝えた。
 なんだかさ、
「おかしいよな、なんだかさ。」
 彼は空を見ながらぶっきらぼうに言った。

 僕たちは、受験に失敗して浪人生だった。
 毎朝、八時を過ぎてから起きだして、予備校へ通った。
 午前の授業もろくに出ずに、友人たちと屋上でずっと話をしていた。
 毎日、毎日、何をそんなに話すことがあったのだろう。
 内容はほとんど覚えていない。
 浪人生だった。
 受験に失敗して、親のすねにかじり付きながら、
ただもくもくと大学へ入学する為に勉強をするひと。
 きっとそうやって仲間たちと話すことで
 自分の存在を主張していたのだろう、何もない毎日だった。

 三度目におばけを見たのは、街中だった。
 駅前の交差点を南に渡り、もともとは震災記念館だったショッピングモールを横切り、センター街に入る辺りで。
 センター街の入り口とは道路を挟んで向かいにある、百貨店の前にそれはいた。
 それは僕を見ていた。
 僕は少し驚いた。
 僕を見ている。どきっとした。
 僕は背を向けそのままセンター街へ入っていった。

 あれは何なのだろう。
 あれを初めて見たとき、僕はおばけだと思った。
 でも、あれはもとから人間でも生き物でもないのだ。
 二度目に見たとき、僕はあれを街のノイズだと思った。
 街中で飛び交う、人の気持ち、雑音、電磁波、そんなもののカスが集まって、人の形になって音を発しているのだと思った。
 三度目、あれは僕を見ていた。
 僕だけが彼を見ていた。
 もしかしたら僕自身に問題があるのだろうか。
 あれを見た話を僕は彼にしかしていない。
 彼はそんなもの見たことないと言っていた。

「ただ、そういうものはあるのかも知れないな」
 薄暗い照明の店内にはオーナーのお気に入りであろう音楽が流れていた。
 もう何年も前からあるこの店は、僕が二度目にあれを見たセンター街にある。
 僕は三度目の遭遇を彼に伝えたのだった。
 彼は否定しなかった。
「お前の言うとおりだと思う」
 彼は静かにコーラを飲んだ。
「昔、家の廊下に鏡があった」
「うん」
「夜に部屋からトイレに行こうとすると、どうしてもその鏡の前を通らなくちゃならなかった。
そしたらそこに自分の顔が写るんだけど、これがもう本当に怖くて」
「うん」
「いつもその鏡は見ないようにしてた」
 彼はコーラを一口飲んだ。
「・・・それで風邪を引いた日、夜中にうなされて起きて、トイレに行ってきたんだ。
それで帰る途中、熱でぼんやりとしてたから。
絶対見ないようにしてたその鏡を、うっかり見ちゃったんだ」
 僕はコーヒーを一口飲んだ。
「そしたらさ、わかったんだよ。」
 彼は天井を見ていた。
「本当は自分はその鏡が見たくて見たくてしかたがなかったんだということが」
 彼はそこまで話すと自分のタバコに火を点けた。
 僕は子どもの頃に車から見たおばけのことを思い出していた。
「君は鏡の中におばけが見たかった?」
 僕はタバコに火を付けた。
「まさか。昔は本当に怖かったんだ」
 彼は笑った。
 そして何かを思い出すような顔をした。
「ただ僕はこれまで目を背けて鏡の前を通り過ぎてきたんだけど、
その後ろで、おばけはいつも写っていたんだ。それがわかったんだ」
 レコードプレーヤーの演奏が終わって、今度はピアノソナタが店内に流れ始めた。
「だから俺はおばけを見たことなんかないんだよ」
 彼はそう言ってタバコを消した。
  

          ※
 

 私は缶コーヒーを買った。
 冬の海へと出た。
 息を白く吐きながら遠くの船を眺めた。
 あのあとすぐだった。
 震災が街を襲ったのは。
 通り道にある橋の欄干から覗くと、真っ暗な海底にこの世ならざるものが浮かんでくるような気がした。
 堤防で温かい缶コーヒーを飲んだ。
 目を閉じ、マフラーを巻きなおして、冬の匂いのする風を吸い込んだ。
 波の音が聞こえていた。
 夜景に照らされ、光るのは波だった。
 ふと、懐かしい気配を感じた。
 僕は昔住んでいた家を思い出した。
 時間は夕暮れ時だった。
 家には自分しかいなかった。
 僕は冷蔵庫からジュースを取り出して飲んだ。そのとき、僕はおばけの気配を感じた。
 それは押入れの中や、玄関や、台所にいた。僕は押し入れを開けた。
 そこには何もいなかった。
 台所にもいない。
 僕は外に出た。
 そしたらはっきりとわかった。
 この家の中に今おばけがいるんだということが。

 私は目を開けた。
 私の中のその家には、まだおばけが潜んでいた。
 それを確かに感じた。
 そして私は立ち上がった。
 私はもう一度おばけに会いに行くことにした。
 あれからもう十年が経っていた。



 <第二章>

 私はセンター街にあるレコード店をはしごして、カレーを食べた。
 それから一度外へ出て、彼とよく来た喫茶店でコーヒーを飲んで時間をつぶした。
 窓から通りを見下ろすとセンター街を行きかう人も少なくなっていた。
 時計を見ると九時近かった。
 私は立ち上がっておばけを探しはじめた。
 
 エスカレーターを降りると地下の店は閉まりはじめていた。
 人はほとんどいなかった。
 パチンコから出てきた男が一人歩いているだけだ。
 夜の闇は、通路や壁に冷たく染み込んでいた。
 でもまだだった。
 押入れにも台所にもいなかった。
 いつも予備校帰りに行っていたバーにたどり着いた。
 でもあいにく今日は閉まっていた。
 天井からは蛍光灯が無機質な光を落としていた。
 手をかざしてみると、手の中で闇が濃くなっていった。
 でも、それだけだった。
 私はまだここで留守番をしていなかった。
 ジュースも飲んでいなかった。
 あの船の鳴る汽笛も聞こえていない。
 やはりもう会えないのかもしれない。
 私は通りを抜けて屋外喫煙所に向かって歩き出した。
 すると右手のトイレの前の壁に大きな鏡が現れた。

「いつもその鏡は見ないようにしてた」
 彼の言葉を思い出した。
「本当は自分はその鏡が見たくて見たくてしかたがなかったんだ」
 そう言っていた。

 冬の海岸からは橋が見渡せた。
 ケーブルに据え付けられたライトが光を海に落としていた。
「なんだかさ、」
 隣でタバコを吸っている友達が言った。
「おかしいよな、なんだかさ」
 私は誘われるように歩き出した。

 鏡は真っ黒な板のようだった。
 打ち寄せる波の音が聞こえた。
 私は鏡へと足を速めた。
 私はおばけが見たくてしかたがなかった。
 鏡が近づいてきた。
 その鏡は夜の海のように暗かった。
 私は鏡を覗き込もうとした。
 そのときだった。

「だから僕は見たことなんかないんだよ」
 彼の声がはっきりと聞こえた。
 私は目を閉じた。
 そして顔を背けて、鏡の前を通りすぎた。
 そのとき、私は鏡の中のおばけの存在を全身で感じた。

          ※ 

 
 時刻は夜の十一時を回っていた。
 私は喫煙スペースへ出た。
 屋外になっているそこからは冬の空が見渡せた。
 タバコに火を点けた。
 白い息とともに白い煙が冷たい空気に流されていった。
 奥の椅子には女の人が一人座っていた。
 彼女は空を見ていた。
 私も壁にもたれて夜空を見上げた。
 空は宇宙に繋がっていた。
 彼女は昔と少しも変わっていないようだった。
「会いたかったよ」
 私は声を掛けた。
「・・・・・・・・・」
 いるんだろう、君は。
 私は目を閉じて祈った。
「・・・・・・・・・」
 しかし、気がつくとそこにはもう彼女の姿はなかった。
 私はタバコを銜えなおした。
 すると今入ってきた扉が風で音を立てた。
 タバコを灰皿に押し付けた。
 私は再び歩き始めた。



 <第三章>

 もうそこは現在のセンター街ではなかった。
 それは蛍光灯の立てる音でもわかった。
 時間の流れが立てる音。
 そういうものがまるで感じられなかった。
 停止したエスカレーターを下った。
 随分と奇妙な感じだった。
 自分の足音だけを響かせながら暗い廊下を進んだ。
 しばらく歩くと、薄暗い通路の先、白っぽい人影が見えた。
しかしそれはすぐに闇の奥へと消えてしまった。
 私は後を追って奥へと進んでいった。
 別のエスカレーターへたどり着いた。
 それは地下へと足場を送り続けながら低い電気の音を立てていた。
 私は足を乗せた。

 どれだけ時間が経っただろう。
 女は先へ先へと進んでいった。
 手すりに体を預けながら私はエスカレーターの電気の立てる音を聞いていた。
 足場は永遠に止まる事がないように思われた。

 一番下へとたどり着いた。
 狭い通路の左右に店が並んでいた。
 シャッターは閉まり、電気は落とされている。
 そこは懐かしい場所だった。
 鉄道の高架下にあるショッピング街だった。その道幅や、天井等の感触は慣れ親しんだそれだった。
 左隣のガラス張りの靴屋は、昔よく訪れたことのある店だった。
 確かに潰れたはずの店だった。
 冷たい回廊の先のほうで、彼女は立ち止まった。
 私を待っているように見えた。
 私は自分の靴が立てる音を聞きながらそれを追った。

 長い回廊を抜けると、吹き抜けのある場所に出た。
 そこはいつものバーだった。
 長い天井の彼方、灰色をした空が見えた。
 そこには色が無かった。
 モノクロのフィルムのような世界。
 かたかたとなる映写機の音が聞こえた。
 雲がそれに併せて、少しずつ流れている。
 店内には、小さく室内楽が流れていた。
 簡素な和音進行を陽気なリズムが運び、その上を滑るように弦楽の旋律が流れていった。
 美しく、儚く、そしてすこし気味が悪かった。
 この店には入り口がひとつしかない。
 ここが執着駅だった。
 そこには誰もいなかった。
 僕はカウンターを通り過ぎた。
 奥に行ってみると、いつもの椅子と机が並んでいた。
 そこにも誰も座っていなかった。
 奥にはいつも自分が座っている席があった。
 もしあのとき、あの鏡を見ていればここに座っているのは自分そっくりの姿をしたおばけだったに違いないだろう。
 僕はその手前の席についてタバコに火を付けた。
 崩れ残った天井の一部から白熱灯が淡い光を投げかけていた。

 僕はしばらく目を瞑って音楽を聴いていた。
 すると遠くから足音が聞こえてきた。
 テーブルにグラスを置く音がした。
 僕はゆっくりと目を開いた。
 そこにいたのは、この街そのものだった。
 僕をここへ連れてきたそれは静かに微笑んだ。
「ありがとう。久しぶり」
 僕はウイスキーのグラスを取った。
 彼女は目を伏せていた。
「もう一度会えたね」
 僕は笑顔を浮かべた。
 懐かしい気持ちがした。
 彼女があの、喧噪、不協和音、ノイズの集まったおばけの正体だった。
 車から見た女の人。
 僕の思い出だった。

 街は静かに話し始めた。
『昔住んでいた家。
冷蔵庫からジュースを出して飲んだ。
そこにいる自分が、残念そうな顔をしていた。
本当に会えないからこそのおばけなのに・・・。
これじゃあ俺の方がおばけじゃないか・・・。
その家は音を立てず静かに崩れていった』

「そうだね。悪かったよ。
でもこうするのがいいと思ったんだ。
こうしようと思ったんだ」
『グラスが氷の音をたてた。
僕はそのとき気がついた。
それが船の鳴る音だった』
 そして僕はグラスの鳴る音を聞いた。
「うん。船の汽笛は鳴った」
 僕は胸がいっぱいになった。
『僕は空を見ていた。
すべてが白くなって消えていった。
フラッシュをたいたような』
「車で走っていた」
『少年と少女は後部座席に座っていた』
「少年は窓の外の景色を見ていた」
『急に窓の外が赤くなった』
 夕立が降り始めたのだ。

「そして、本当のおばけはやっぱり君だったんだね」
 僕は前の席に座っている友人にそう言った。彼は笑ってコーラを飲んでいた。
「そうさ。僕が本当のおばけだ」



 <第四章>

 黄色い光がこぼれていた。
 そこには今では失われたいろんなものが同時にあった。
 ここはかつての街であり、かつての僕たちそのものだった。
 何もない毎日だった。
 フラッシュのなかだった。

 二人時間を忘れてしばらく話をした。
 彼は相変わらずコーラを飲んでいた。
 タバコに火を付けるライターの音。
 僕は二杯目のウイスキーを彼女に頼んだ。
 彼はナッツをかじった。
 僕は笑った。
 しばらくして、レコードプレーヤーの演奏が終わって、今度はピアノソナタが店内に流れ始めた。
 映写機のフィルムが切り替わる音が聞こえた。
 
 彼は静かに語り始めた。
「もう隠し事はできないんだね」
「うん」
「本当にこの意味がわかってるのかい」
「・・・・・・」
「それでも続ける勇気はあるかい?」
「なんの話だい」
「これまでとこれからだよ。全部さ」
「勇気なんかいらないさ」
「勇気以外必要なものはないぜ」
「そうかもしれないけど、出そうと思って出せるもんじゃない」
「でも出そうと思わなきゃ出ないよ」
「・・・うん」
「不安なのかい」
「うん」
「何がかな?」
「時が流れることがかな」

 乾いた風が吹いていた。
 崩れた壁に残った窓から外をみると、
 一面に廃墟が広がっていた。
 灰色の空。
 暴かれてしまった秘密。
 隠すことでのみ存在できたものたちは、
 もうその気配すら感じることができなかった。
 瓦礫となった建物。
 砂を被り、沈黙していた。
 その中のどこかには昔の僕の家があるだろう。そこには昔の僕がいたはずだ。
 そしておそらく彼も。
 しかしおばけたちは空に引っ張られ、
 今はもう誰も住んではいなかった。
 街はもう死んでしまっていた。
 ピアノが小さい鐘を打つような高い音を、何度か響かせた。

 彼女は話し始めた。
『ずっとこれが見たかったんでしょう。
・・・・・たぶん。でも。
でも?
できることなら忘れたかった。
嘘でもいいと思ってた。
ここまで来といて?
おばけは笑った。
本当だって。
僕は本当に好きだった。
・・・・・・・・。

「でも、君は気づいてしまった。もうみんなにばれてしまった」
 おばけはタバコに火をつけた。
「そうだな」
 彼は寂しそうな顔をして言った。
「この街だけじゃない。
 どの街でもそうだよ。
 どこだろうと、誰だろうと」
 タバコの煙が風で流れて行った。
「うん」

 誰かが夢に見た街。
 理想の街だった。
 僕たちはその頃、夢の街で生きていた。
 そこに多くの人が暮らし、そして死んでいった。
「ソドムの街」
 彼が冗談めかして言った。
「まさか」
「じゃあユートピア
「あるいはね」
 僕は笑ってウイスキーを一口飲んだ。
 彼はタバコを消した。
「それでも一緒さ」
「うん」
「ないものを夢見ることに変わりはない」
 そうだな。
 それが例え失われてしまっても。
 嘘に目をつむって暮らしても。
『僕らが夢の街にいることにかわりはない』
 彼女は笑った。

         ※

 鳥が飛んでいた。
 僕は季節外れの海岸を歩いていた。
 あいにく空は曇っていた。
 白い鳥だった。
 それは空高く舞い上がり、二羽の白い鳥といっしょになった。
 
『三羽の鳥は円を描くようにくるくると空を旋回した』
 街は言った。
 彼女は空を見上げた。
 彼は冬の海岸で灰色の空を見上げた。
 僕も空を見上げた。

 鳥は高く空を飛んでいた。
 まっすぐ上を見上げ、
 僕は宇宙を見ていた。
 意識は上へ上へと昇り、
 そして落ちていった。
 僕は宇宙を見た。
 街は静かに消え始めていた。



 <終章>

 非常灯が緑に光っていた。
 色がゆっくりと戻りつつあった。
 閉幕の時間が近づいていた。
 室内楽団はまたさっきの音楽を奏でていた。
そこに街の姿はもうなかった。
「そろそろ行くよ」
 私はおばけにそういった。
「久しぶりに会えてうれしかった」
「わざわざ来てくれてありがとう」
「うん」
「本当は」
 私は目を閉じた。
「もっと遊びたかった。
あれは本当につらかったよ」
「悪かった」
 彼は小さくそう言った。
「最後に会ったのは、あれはここだったかな」
「いや、いつもの喫茶店だよ」
「あれ?そうだっけ」
「そうだよ。話もおばけの話だった」
 そう言うと、彼は笑った。
 天井の電灯は静かに消えはじめていた。
 ここは消えつつあるのだ。
 辺りは暗闇につつまれた。
「さようなら」
 彼の声が聞こえた。
「さようなら。本当に、さようなら」
 それを言うのにあれから十年も経ってしまった。

        ※

 扉を開け、階段を下りると、パチンコ店のある一階だった。
 私は、廊下を通って出口へ向かった。
 非常扉を開けて、表に出た。
 そこにはいつものように夜の喧噪があった。
不協和音や、ノイズが飛び交っていた。
 私は空を見上げた。
 そこには現実の空が広がっていた。
 何もかもが過ぎ去った今だった。
 私は目を閉じた。
 それでも、と私は思った。
 それでも、結局どこであっても、誰であっても同じなのだ。
 かつての街と変わってしまっても。
 別の街に行ってしまっても。
 それはいつだってここにあるものなのだ。
 私は夜の街へと足を踏み出した。
 空の星は澄んで、ささやかな光を放っていた。


蟲師 続章 OP


N君との共作。
第一章の喫茶店のシーンより、私が引き継いで書く。
(別にN君死んでないです)