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「なでこSMILE」のアニメ感想BLOG

アニメや漫画などについての、自分の思いを記録するブログ

逢魔が時

初稿<2014>


この切れかけた電灯を管理しているのはどこだろうか。
いずれにせよ支払いは税金だろうが。
私はJR日暮里駅から谷中へ架かる陸橋を渡ろうと路地裏を歩いていた。
パシャ。
シャッターを切る音がしたので見ると、四十がらみの男が階段の横から三脚に乗せた黒いカメラで駅の方向を撮影していた。
私は彼の非礼を受け入れ、別に自分が写っていよういまいと構わないことを伝えると赤さびた階段を上り始めた。
緑の塗装は浮き上がり、瘡蓋のふくらみは真ん中から剥がれていた。
明滅する電灯のフィラメントに合わせて、セミのような電気の音がまた聞こえた。ここにはまともに点いている電灯の方が少ないようだ。
並行する手すりの薄い陰に塗り重ねるように、私の影はより暗い色を階段に点滅させていく。
パシャ。
フラッシュがそれを一瞬だけ同一の黒に染めた。

こんなにフェンスが高いのはやはり自殺防止のためなのだろうか。
今日は不気味なほど風が吹いていない。
階段を上りきりそれを実感した。
いつもなら丘のふもとになったこの橋には風が吹いているのだ。
一体何線あるのかわからない線路をまたぐ、狭く細長い橋。
左手を遠く見ると枯れ果てたビルビルの向こうに建設中の電波塔がのぞいていた。
去年からずっとああした感じだ。
永久に完成しそうな気がしない。
薄墨を流したような雲が空一面に広がり、塔の腹から突き出たクレーンの裏からほおずきのように紅い陽が空を紫に染めていた。
まるですべてが鉄くずだ。
空気は橋を錆びさせ、空を錆びさせ、建設中の塔を錆びさせている。
酸化している。
私も酸化しているのだ。
この通勤鞄も、服も、眼鏡もすっかり錆びついた。
ホームから電車が近づいてきた。
パシャ。
車両は生ぬるい空気の中を通り抜け、カメラのフラッシュをその強烈なライトでかき消しながら足元を轟音を立てて通過していく。
鉄橋は線路の振動と共鳴し、鉄同士金切り声をあげた。
その瞬間、すべての影は同一の黒へ重なり、そして同時に真っ白に掻き消えた。

男がいた。
橋の中ほどあたり、フェンスを手で掴んでじっとホームの方角を見つめていた。
私は二人通行するのがぎりぎりの狭い道幅を、自分の影を色んな角度に落としながらそいつの横を通り過ぎた。
「お待ちください」
男は私の背中に声をかけてきた。
私は立ち止まった。
目の前に男の影が伸びていた。
その色は何よりも黒く、私の陰を飲み込んでいた。
「あなた、俺と取引しませんか?」
男はこちらを見もせずにそう続けた。
私は行く先の谷中墓地の崖に添ってえぐられた窪地をみた。
そこは多少平らになっていて、ホームレスが何人か暮らしている。
道をまっすぐ進めば、墓地内の遊歩道に繋がる。
男は自分が悪魔であることを告げた。
私は男のところまで戻ると、フェンスにもたれかかった。
線香と近くの生ゴミの薄い臭いが交互にした。
「あなたの願いを何でも一つだけ叶えてあげましょう」
隣で男が西日暮里方面に向かう電車を見つめながらそうつぶやいた。
私は男のほうは向かず、じっと逆の鶯谷方面を見ていた。
右に大きく曲がる線路の先にラブホテル街のネオンサインが青く光り出している。
そのかわり、あなたの魂をいただきます。
男は今更という感じで、そう付け加えた。
西欧風の建築物を模した噴水で飾られたホテルがところ狭しと建ち並ぶ。
だが無料案内所は確か少し駅から離れていたはずだ。
二時間一万円のファッションヘルス
美人なのはみんな韓国系、中国系で、たまに日本人の斡旋を売りにしている店があった。
立ちんぼが暗がりの路肩にぽつぽつ立っている。
私は答えた。
私の魂をもらってくれ。
男がこちらを向いたようだった。
だが私の意識はまだ鶯谷をうろついていた。
ホテル街の一番の暗がりは駅沿いだ。
そこに立ち飲み屋がならんでいる。
確か線路脇の壁に看板があったはずだ。
手書きのトタンで、売春は法律で禁じられていますという文言の。
ホテル街まで戻り、高架下の階段を上がって上の道路へ。
いつもサラ金のチラシとスポーツ新聞、そして二回に一度はコンドームが落ちているそれをあがると、確かロイヤルホストだ。
「それだと取引になりません」
男は契約上の不都合があることを隣で説明しているようだ。
確かに、これではただの譲渡契約だ。
だが別にそれで取引にならないわけではあるまいに。
車道を渡るが極端に歩道が狭くまた交通量も多いためきわめて危ない。
そのまま上野方面へ。
願いを叶える力の代償としてしか、魂はもらえない。
そう男は説明していた。
あなたの望みや欲しいもののあくまで交換として、俺はあなたの魂が欲しいのです。
自分のアパート方面には向かわずに墓地の方へ。
桜が植わっている通りの先には猫が集まる駐車場。
狭いあぜ道のようなところに入ると、谷中墓地の敷地にある歩道に繋がる。
左右に居並ぶ墓石。
徳川家の墓もある。
私は夜によく墓地を散歩している。
どうして怖くないのだろう。
「さあ、あなたの願いはなんですか?」
そうだな、どうせこのあたりにある墓は。
金持ちのものばかりだからかもしれないな。
墓場は電灯が無いので足元すらみえないほどの闇だ。
丘の端へ出ると急に視界が開けた。
ホームレスのダンボールハウスが右手に、そして左下に陸橋が見えてきた。
緑の錆び付いた、狭くてフェンスの高い。
人の立ち入れぬ線路の群れの中に、心元ない鉄の橋がまっすぐ十字に架かっていた。
私は言った。
「君の魂を私にくれ」
男はうなずくと、こちらに向き直った。
そして私は鞄を手渡した。
男はそれを受け取ると墓地の方へ向かって歩きはじめた。
俺はフェンスを掴むと、線路の先をじっと見つめはじめた。



inspired by
・長濱博史『悪の華